紀元前のお話です。ネパールのシャカ族の
王子ゴータマ・シッダールタが仏教を始めました。
裕福なシャカが仏教をどうして始めたのか。
●凡人は自分も老いていくのに、老いた他人を見て悩み、恥じ、嫌悪する。
●凡人は自分も病むものなのに、病んだ他人を見て悩み、恥じ、嫌悪する。
●凡人は自分も死ぬものなのに、死んだ他人を見て悩み、恥じ、嫌悪する。
この三つのことは人間が避けることの出来ないものである。
シャカは人が生きる意味を知ろうと出家し悟りをひらいた、、、、、
簡単に言うとこういう事です。いまの現代人の悩みと全然変わりませんね。
●飽くことのない欲望
●飽くことのない怒り
●ものの道理を知ろうとしない愚かさ
今と変わらないやん、仏教なんて広まっていませんね。
いやいや広まっているよって。広まってこの程度か~
広まっていなければケンシロウの世界ですね。
シャカが死んでからシャカの教えは、数多くの人々が付け加えて、
数多くの宗派ができ、数多くの教典ができ、対立し、囲い込み、非難。
宗教家は何をやっているんでしょうね。
普段は立派ですが事が起こると激変する。ちっとも解脱してないやん。
これは教えるということがいけないのではないでしょうか。
たしかに宗教の集まりはいいことを言います。全部納得できます。
でも事が起これば普段穏やかな人でも欲望、怒りをあらわにします。
教えを体得していないやん。苦労して体得した事でなければ身につかない、
耳で聞いて理解した教えは全く身につかない、
近場でちょんちょん、ローソンでおにぎりを買うようなものです。
暇つぶしに集まって道徳を買うようなもの
けっきょく人間はひとりひとり。苦労の数だけ真理がある。
さあてつまらんことを言っていないで
おにぎりを買いに行ってこようっと
ふんふんふん
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