2009年11月15日日曜日

仏考(2009.8)

紀元前のお話です。ネパールのシャカ族の

王子ゴータマ・シッダールタが仏教を始めました。

裕福なシャカが仏教をどうして始めたのか。

●凡人は自分も老いていくのに、老いた他人を見て悩み、恥じ、嫌悪する。

●凡人は自分も病むものなのに、病んだ他人を見て悩み、恥じ、嫌悪する。

●凡人は自分も死ぬものなのに、死んだ他人を見て悩み、恥じ、嫌悪する。

この三つのことは人間が避けることの出来ないものである。

シャカは人が生きる意味を知ろうと出家し悟りをひらいた、、、、、

簡単に言うとこういう事です。いまの現代人の悩みと全然変わりませんね。

●飽くことのない欲望

●飽くことのない怒り

●ものの道理を知ろうとしない愚かさ

今と変わらないやん、仏教なんて広まっていませんね。

いやいや広まっているよって。広まってこの程度か~

広まっていなければケンシロウの世界ですね。

シャカが死んでからシャカの教えは、数多くの人々が付け加えて、

数多くの宗派ができ、数多くの教典ができ、対立し、囲い込み、非難。

宗教家は何をやっているんでしょうね。

普段は立派ですが事が起こると激変する。ちっとも解脱してないやん。

これは教えるということがいけないのではないでしょうか。

たしかに宗教の集まりはいいことを言います。全部納得できます。

でも事が起これば普段穏やかな人でも欲望、怒りをあらわにします。

教えを体得していないやん。苦労して体得した事でなければ身につかない、

耳で聞いて理解した教えは全く身につかない、

近場でちょんちょん、ローソンでおにぎりを買うようなものです。

暇つぶしに集まって道徳を買うようなもの

けっきょく人間はひとりひとり。苦労の数だけ真理がある。

さあてつまらんことを言っていないで

おにぎりを買いに行ってこようっと

ふんふんふん

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