産寧坂(さんねいざか)、清水寺に行く道にある階段。
我々の若いころは普通に三年坂(さんねんざか)という
名前で言っていた。
二年坂に続く道が三年坂であった。
三年坂で転ぶと三年以内に死ぬと言われていて、
付近では縁起が悪いということで
産寧坂と地名が変更になった。
この三年坂を含めた東山一帯は
清水寺を含めて鳥辺野(とりべの)と呼ばれる場所で、
昔は死体がゴロゴロ山のように積まれていて
火葬場や墓があった。
その鳥辺野に通じる道であることから、
産寧坂をもじって三年坂として
三年以内で死ぬと言われていた。
平安時代の頃は庶民は墓に埋葬されることがなく、
死んだら野ざらしにされて、
鳥や野犬に食わせて死体を処理していた。
**野という地名が付いた場所は、
風葬、鳥葬だった場所が多く、
京都では他に化野、蓮台野がある。
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)で供養した。
蓮台野に遺体を運ぶのに使った道を千本通りと言う。
遺体を運ぶ際に通る千本通りには、
当時、卒塔婆(そとば)が千本(無数)立てられていたので
千本通りと呼ばれた。
今でも千本通というのはこういうこと。
鳥辺野、化野、蓮台野が三大風葬地で
各々巨大な墓がある。
現在は観光地として有名だが
実は庶民の死体を鳥や野犬に食わせていた場所。
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