お寺に行って座禅を組んで瞑想(めいそう)する。
無になりなさい。
とは言うが無とはなにか。
何も考えるなということか。
何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、
目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。
思いをめぐらすことならば無ではない、無心になること。
無心とは意志・感情などの働きがないこと。
心の働きが休止していること。
やはり無か。
心がやましいのかよくわからない。
座禅を組んで目を閉じて、
タコ焼き食べたいな、焼きそばの方がいいな。
有心が次々と沸き起こる。
この場合、言葉にしないと他人に伝わらない。
人間の脳の限界に感謝やな。
心の中で考えるなとは言っても
血が巡り脳が活動している限り何かを考える。
基本的に無とはこの世の中にはない。
宇宙で言えば真空か。
でも真空中にも分子、原子が漂(ただよ)っていることが
わかっている。
では漂っている以外の本当に真空なところのみ
考えてみると無なのか。
しかしこの部分には物質と反物質が現れては
結合消滅を繰り返しているから無ではない。
形があるものには無は無い。
心には無は無い、脳以外にも無は無い。
無はないにもかかわらず無になれという。
出来っこないことをやるのか。
これを解決する方法がひとつだけある。
仏教の創始者が言った言葉。
できないこと、わからないことは考えるな。
お釈迦さんはわかっているやん。
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