2018年11月7日水曜日

無とは(2018.11)

お寺に行って座禅を組んで瞑想(めいそう)する。

無になりなさい。

とは言うが無とはなにか。

何も考えるなということか。

何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、

目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。

思いをめぐらすことならば無ではない、無心になること。

無心とは意志・感情などの働きがないこと。

心の働きが休止していること。

やはり無か。

心がやましいのかよくわからない。

座禅を組んで目を閉じて、

タコ焼き食べたいな、焼きそばの方がいいな。

有心が次々と沸き起こる。

この場合、言葉にしないと他人に伝わらない。

人間の脳の限界に感謝やな。

心の中で考えるなとは言っても

血が巡り脳が活動している限り何かを考える。

基本的に無とはこの世の中にはない。

宇宙で言えば真空か。

でも真空中にも分子、原子が漂(ただよ)っていることが

わかっている。

では漂っている以外の本当に真空なところのみ

考えてみると無なのか。

しかしこの部分には物質と反物質が現れては

結合消滅を繰り返しているから無ではない。

形があるものには無は無い。

心には無は無い、脳以外にも無は無い。

無はないにもかかわらず無になれという。

出来っこないことをやるのか。

これを解決する方法がひとつだけある。

仏教の創始者が言った言葉。

できないこと、わからないことは考えるな。

お釈迦さんはわかっているやん。

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