2012年8月7日火曜日

問題(2012.8)

人間には問題が付きまとう。

個人としての1人。

複数の最小単位の家族。

順番に村、町、郡、市、県、国、世界。

どの単位の集団でも問題は発生する。

国としての当面のオスプレイ、原発、借金、なかなか解決する方法も見当たらないまま、

ああでもない、こうでもない。数が多いから結論がでない。

人間から見たペットのように圧倒的な脳力の差を持って決定できないからなおさら決まらない。

絶対脳力差のある神・仏から見た人間のような、差がある絶対者が居て、決定してくれればいいんだけれどそうもいかない。

昔から日本人は同じように結論の出ない問題を抱えて悩み苦しんできている。

結果として日本語の中にこれらを解決する言葉を生み出してきた。

【寛容】寛容(かんよう)とはもともとキリスト教のヨーロッパ発祥の言葉であるが、自分と異なる意見・宗教を持っていたり、異なる民族の人々に対して一定の理解を示し、許容する態度。


【曖昧
】はっきりしない、海のものとも山のものとも判断しかねる。こういう状態が我慢ならんのやという日本人が増えすぎてしまった。

ここが問題。

みんな日本の中の人が居ない山の中にでも引っ越してしまったらこの問題はなくなるが。

これは出来ない。

なぜならこんどは【不便】という言葉を日本人は嫌う。

便利で、自分の尺度に合って、快適に暮らせて、毎日笑っていられる。

そんな場所は無いわいな。

都会の真ん中に1km四方の敷地を所有し、買い物・食事の用意・身の回りの世話をすべて使用人に任せれば問題なく暮らせるのかな。

でも現実として出来ないから、

もうどうでもいいやん、しらん。、、、、、

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