2018年2月22日木曜日

ぽっくり寺(2018.2)

奈良、斑鳩の吉田寺、

奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1- 23にある。

浄土宗の寺院で年配の参拝者が多い。

通称【ぽっくり寺】

本尊の阿弥陀如来像仏に祈ると

腰から下の世話をかけずに往生できるといわれている。

吉田寺は【よしだでら】とは読まずに【きちでんじ】

とよむ。

清水寺は【せいすいじ】とは読まずに【きよみずでら】

とよむ。

このあたりの訓読み音読みの区別はわからない。

裏門から






本堂 



多宝塔



鬼瓦


正面門から


大変申し訳ないが何がどうなんだということで


もうひとつ他の寺との違いがわからなかった。

寺の本堂の中に入って

祈祷までしてもらわないといけないのか。

ぽっくりとは、人が突然死ぬこと、

昨日まで元気だった人がぽっくりと死ぬ。

これが目的。

長生きしたくないから、好きなもん好きなだけ食って、

したいことをやってぽっくり行きたい。

と、年寄りはすぐに言います。

寝たきりになり若いものに迷惑をかけたくない、

根底にはこの思いがあるのです。

では資産が10億円有る。

寝たきりになってもお金で介護はなんとでもなる。

これなら年寄りは安心できるのか。

少しはよっしゃでしょうが、

やはりぽっくり行きたい。

要は自分が今まで行ってきたことが

寝たきりになってできなくなることに

恐れおののいてぽっくり行きたい。

これが本音でしょう。

もっと言うと健康で食事もおいしい、

赤ちゃんがご飯を食べながら眠り込むようにと

同じように死ぬ信仰に似たものでしょうか。

痛みも何もなく眠るがごとく行くことが

ぽっくりであると自分なりに定義しているのではないか。

これは無理ですね。

眠るように死ぬには体を使い切り

100歳を超えてぼろぼろになり神経もボケてきた。

5寸釘が刺さってもわからない。

これくらいにならないと眠るようには死ねないなきっと。

結論として、ぽっくりも相当努力しないと

寺に参ったぐらいではダメだと思います。

この先、

車いす様の階段でも山でも街中でもスムーズに移動でき、

マジックハンドで何でもしてくれ、

どこにでも行ける乗り物が発明され、

充分なお金があり寝たきりになったとしても

若いときと同じように行動できる時代が来れば、

ぽっくり信仰は無くなるに違いない。

ぽっくりとは保久利と書き(久しくご利益が保たれる)

死んで阿弥陀様が迎えに来て保久利往生します

という浄土信仰からの名前です。

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