第二次世界大戦時、
世の中は町内会の末端まで忖度で覆われていた。
もちろん心の中では反対の意見が大勢であっただろうと
思う。
でも熱狂的な声の大きい忖度人に負け、流されて行き、
戦争が終わり自由に物事が言えるようになってから
忖度人は軽蔑されバッシングされたことだろう。
この歴史は今でも日本全体を覆っている。
外から見ていてもこれはわからない。
渦の中に入ればはっきりとわかる。
例えば福島。
除洗が終わったから自宅に帰りなさい。
仮設宿舎は取り壊します。
取り壊したら行き先がないから帰らざるを得ない。
ほうら放射線計器ではかっても低いでしょう。
実際の半分程度しか表示しない放射線計を見せて
安心さそうとする。
実際の半分程度しか表示しない放射線計を表示することが
すでに忖度。
事故が起こる。
あっちからもこっちからも事故について
あれがだめこれがため。
結果を見てからあれこれ言うものだから、
しかも正確な工事の知識のない人間が
間違った安全指示を平気で出す。
あっちからもこっちからも事故についてやいやい言う、
これも忖度。
結局人が望まない自滅する道を選んで良しとする。
でも事故は永遠に続く。
原発も永遠に爆発する。
なにをやろうが事故はおこる。
無事故はその時に行う人間が気を付けることだけしかない。
それでも事故は起こるだろう。
忖度だらけのニッポン、チャッチャッチャ。
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